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研究大会

1979.07.21

第2回研究大会(中央大学)

※以下の文章は、石井伸男「唯物論研究協会第二回研究大会報告」『唯物論研究』第1号、1979年11月、175-178頁からの転載です。

唯物論研究協会の第二回研究大会は、本年七月二一、三二の両日、東京都八王子市の中央大学にて開催された。

七八年一一月、法政大学での第一回大会に続く第二回目の開催であったが、第一回が研究協会創立まもない熱気につつまれた雰囲気のもとてひらかれたのとくらべ、全体におちついた雰囲気が支配していたといえると思う。しかし会場の外的条件は別て、七月下旬の猛暑のなか、とくに二日目の日曜日は冷房のきかない暑さにつつまれて、みな汗をふきふきの熱心な参加であった。

研究大会の構成は、二つのシンポジウムと七名の個人研究発表からなっていた。私は研究大会担当の委員としてこの報告を書いているが、個人研究発表には出席てきなかったため、シンポジウムを中心に報告させていただくことを、あらかじめおことわりしておきたい。

シンポジウムーは、「現代日本の反動化と思想の問題」をテーマとするものて、これは、元号法制化の強行、「有事立法」策定ヘの動きなどてさらに加速されている政治反動の状況を、思想の問題としてどのようにうけとめ、対処していくか、を意図して設定された。

湯川和夫氏の報告「政治の反動化と思想のたたかい」は、このテーマを正面から論したもので、主旨は以下のようてある。絶対主義天皇制はすてに廃止されたが、そのもとて形成され、これを支えてきた天皇制イデオロギーは今日、依然として存続し、象徴天皇制の思想的・社会的内実を構成して、強化されようとさえしている。日本の支配階級とその政府は、この象徴天皇制のもとで元号の存在と使用が大多数の国民によって容認されているという既成事実をたくみに利用して元号法制化実現に成功した。

有事立法についていえば、これが国民の諸権利と自由をうばいとる法律てあることの指摘と同時に、「戦争の勃発を前提とする立法を考えること自体がおかしい」という思想を想起・深化させる必要がある。現代日本の支配階級は、「法による支配」および「イデオロギー的支配」によって管理と抑圧を強化していこうとする路線を主として採用している。「イデオロギー的支配」とは、天皇崇拝、反共主義、自由主義、議会主義、「国民的合意」、「地方の時代」等の思想とイデオロギーを、国民の社会心理・社会意識・習俗・慣行および諸制度に浸透・融合させるやり方である。

湯川氏は、それだけに国民の側の思想的自己変革のたたかいが重要であるとして、最後に次の諸点を提起した。 一、天皇制イデオロギーをはじめ、さまざまのイデオロギーが、支配と管理のためのイデオロギーであるだけてなく、それ自体が国民主権と人間の権利をみとめない思想てあることの暴露。二、イデオロギー的支配の核心が、支配と管理に抵抗しない人間をつくるところにあることの認識。三、国民主権・人間の権利の自覚と、抵抗しない人間から抵抗する人間への思想的自己変革との結合。四、「個人の」自立の思想と「国民の」連帯の思想との結合。

松尾章一氏は、歴史学者の立場から、「現代反動イデオロギーの一典型――安岡正篤の思想――」と題する報告をされた。松尾氏は、前段て現代反動イデオロギーの特徴として、はげしい現状への危機感を背景にした現体制擁護論、社会主義・マルクス主義否定論、反科学主義・非合理主義・主観主義的かつ反弁証法的歴史論の立場、戦後の科学的歴史学の成果への挑戦と否定とかれらなりの歴史像の模索等の諸点をあげ、しかし巧妙なレトリックて粉飾してはいるが全体として矛盾と混乱を深めつつ、方向としては古い天皇制イデオロギーと新しい戦争と軍国主義の肯定論との結合をはかろうとしている、とのべた。

そして本論にはいって、こうした現代の反動思想家の一典型として、安岡正篤をとりあげ、安岡の主宰する全国師友協会誌『師と友』の一九七〇年代分の分析から、かれの思想の特徴づけ、反動思想家のなかでの位置づけをあたえようとされた。

安岡正篤とは、 一九一九年、猶存社に加盟、北一輝、大川周明とともに三本柱の一といわれた戦前からの生粋の右翼思想家である。戦後は公職追放をうけ一時引き籠ったが、またただちに師友会(今日の全国師友協会)を結成、また新日本協議会、日本国民会議などの中心人物として、八〇歳をこえる現在も「活躍」中の、思想右翼の本流に属する人物てある。自民党および財界と多くの交わりをもっており、最近ては自民党一九八〇年政策委員会の講師にも入っている。

その思想の特徴は、 一、現代資本主義社会へのはげしい危機感(師友協会綱領は「祖国の危機に臨んでは分に応して国難の解消に献身努力」するとのべている)。二、歴史観としてはかなり古めかしい皇国史観てあり、また農本主義に近い立場から家庭重視をいう。三、自由主義や民主主義から社会主義が登場してきたとして西欧型自由や民主主義への批判を展開。四、 一番の強調は、デモクラシーの中身を「エリートが必要な社会」にすりかえてしまい、すぐれた宰相、教育者の出現(王道論)を訴える点にある。松尾氏は安岡の無視てきない影響に注意を喚起して報告を結ばれた。

これら二報告をうけた討論では、とくに現代の反動イデオロギーの特徴や性格づけをめぐって活発な意見が出された(司会は芝田進午・吉田傑俊両氏)。安岡などの古いタイプの皇国史観天皇制イデオロギーがはたして反動思想の主流なのか、その性格も独占資本主導の軍国主義復活路線のもとて変容しているのでないかという論点、 一部宗教団体の反動化のための利用についてなど興味深い議論があったがここては省略せざるをえない。政治反動および反動思想の特徴についての議論と比して、国民(ことに青年)の積極面をふくめた思想状況、反動化を克服していくうえて必要な思想原理の問題には、時間の制約もあって討論がおよばないうらみが残った。今後の課題であろう。

第二日目にもたれたシンポジウムⅡは、「現代科学と唯物論」をテーマとし、岩崎允胤、佐藤七郎両氏の報告、藤井陽一郎氏の司会によっておこなわれた。この科学と唯物論の関係についてのテーマは、会の本来的性格からして継続してとりあげられるべきテーマてあり、今回はその出発点としての意味をも
つものてある。

岩崎允胤氏の報告「現代自然科学と弁証法的唯物論――哲学史的展望のもとに――」は、このテーマに哲学の立場から広い範囲にわたってふれられたものてあった。

報告は、I、現代の物質観、Ⅱ、科学的認識の若干の諸問題、に大別され、それぞれがいくつかの論点をふくんていた。Iでは、物質の哲学的概念からはじめて、運動する物質(物質と運動との不可分性、統一性、恒存性、無限性、運動の矛盾)、空間と時間、物質の階層性・歴史性、物質の連続性と非連続
性、相互転化、合目的性、媒介性の順で、それぞれの哲学史的背景をふくめた豊富な内容の報告がなされた。

Ⅱの科学的認識にかかわる問題ては、創造的反映の問題、法則を共通者・抽象的普遍として理解する見解について、相対的真理と絶対的真理の統一としての客観的真理について、サイバネティクス・システム論の評価の問題の四点についてのべられた。どれも小さな問題ではなく、すべてを紹介することはで
きないが、のちの討論との関係て二番目にとりあげられた法則観についてふれれば、岩崎氏はここで、科学的法則を現象から帰納によってとりだされた共通者(いわゆる抽象的普遍)てあるとする見田石介氏などに代表される見解を批判して、これではポルピュリオス式の、個別的現象を抽象的普遍(類)+種差ととらえるたんなる形式論理的抽象の立場とかわらなくなる、とし、科学的法則は、現象から非本質的な側面を捨てて本質的側面を抽き出す抽象(本質的抽象)によってえられる現象の普遍的本質てある、と強調された。

生物学者の佐藤七郎氏による報告「生物学(細胞学)の立場から」は、論題にあらわれているとおり、対象を生物学にかぎってその方法、生物観等の諸問題を提起された。それによれば、遺伝の実体DNAの明確化、生命の起源の研究が実験的課題となったこと、細胞像の変化などにより一九六〇年代を境に生物学は大きく変わったのは事実であるが、その変化を誇大視して、生物学はこの時点ではじめて科学となった、とするのは暴論てある。生物学は一八七〇年代に、生物の種としての存在、種が進化の産物であること、自然発生の否定、細胞説、生物の物理・化学的法則による制約、の五つを基盤に科学として成立し、現代生物学もその延長上にあZつ。

だが、生物学の発展は、研究対象の研究手段化、典型の発展、総合的研究、工学的方法の利用など、研究方法にも大きな変化をもたらしているとして、とくに物理的・化学的方法の比重のつよまりがのべられた。最後に報告は、遺伝系をはじめとする生物の徹底した合目的性が新たな進化要因の解明を要求していること、これらの問題の解明のためにすぐれた生物観がその真価を発揮して新しい抜本的な仮説を提起することがのぞまれると結ばれた。

討論ては、テーマの性格上、諸分野の自然科学者の発言が活発であった。これも省略せざるをえないが、ただ、岩崎報告については法則導出における科学的抽象の性格の問題、また佐藤報告ては、生物学的方法が物理・化学的方法に「還元」可能かどうかの問題に、かなりの議論が集まったことを一一﹇しておく。全体として討論もかみあって成功したシンポジウムてあったといえるが、今後、とりあつかう科学の分野やテーマ設定をさらに限定するなどの工夫をはらって、「科学と唯物論」の関係を継続的に深める必要があろう。

個人研究発表について内容をふれる余裕がないので、題目のみを紹介する。杉田元宜「等価変換理論と日Eヽ汗Fリワ)●Fこ、林田茂雄「内容ある零と無内容な零について」、稲葉守「ロシア革命的民主主義者と弁証法」、北村実「近代人権理念と社会主義」、岩瀬充自「初期マルクスにおける人間観の発展」、須藤浩行「労働対象規定の技術論的検討」、楊井英一「組織と認識」、以上七つてあった。個人発表はもっと数が多くてよかった、という声が強い。

二日目の夕方には、会場を移して、懇親会が開かれ、自由な交流のひとときをすごし、こうして大会の全日程は終った。

以上の第二回研究大会には、のべ一〇〇名の参加者があった。場所が東京とはいえ都心から離れていたためか、非会員の参加者が第一回とくらべ少なかったのは残念である。またテーマの内容にもよるのだろうが、年輩の会員の積極的参加に比して、若手会員の参加が少なめな感じてあった。唯物論研究協会は他の哲学関係の学会とくらべ、現実との深い思想的かかわりをその性格とするわけて、大会の内容、討論、参加層とも、その性格にふさわしく、さらに充実。発展させなくてはならない、と思う。大会はこうして全体として成功をおさめたが、それには長沼真澄氏、宮原将平氏をはじめ中央大学関係者の御尽力が多大であったことを、ここてとくに記して感謝しておきたい。

来年度の大会日程は、すてにその後八月下旬に開かれた委員会できめられており、 一九八〇年一一月八日(土)、九日(日)の両日、東京で開く予定てある。そして、会員からの個人研究発表申込はすべて原則としてうけっけ、おおいに発表してもらうなど、 一層の改善の方向もすでにうちだされている。第二回大会がさらに質量ともに充実した研究と交流の場となることを期待して、このつたない報
告をおえさせていただくこととする。(いしい のぶお 東京都立大学・哲学)

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