所有的個人主義からどこへ行くのか

・・・individual property再建への曲がりくねった道

                           竹内 真澄(桃山学院大学)

1.日本の格差社会の世界的コンテクスト

 1960年代以降、世界的な規模でのいわゆる南北格差は広がってきている(1)。先進国は、アメリカ(カトリーナの被害を見よ)、日本、イギリスなどでひとしく格差が拡大してきている。北欧でも格差が広がりつつあるという懸念が広がってきている。統計上でもある程度裏付けされている。ただし、北欧では、格差の拡大が好ましくないというコンセンサスがかなり強固に定着しており、実態と理念の調整をいかにしておこなうかが世論および政策の両面から何度も問い直されてきた。この意味で北欧では平等主義は政策と世論の両面で一方的に衰退しているわけではない。ヨーロッパ(イギリスはやや異なるが)でも、北欧ほどではないにせよ、「社会的ヨーロッパ」のモデルを価値基準として格差社会の問題を問いなおす原理が内蔵されていると思われる。

このようにみてくると、とりわけ日米で発生している格差社会の問題は、もともと社会権的な意味での平等理念が弱いだけでなく、採られている政策とその裏にあるイデオロギーから見ても、格差社会を拡大する方向性こそが望ましいのだという意見がかなり支配的である。

 

2.国際人権規約批准拒否とアメリカ外交戦略における格差社会化

 こうした社会的な格差が正当化される場合、何がその背景にあるかが問題となる。いわゆる新自由主義と呼ばれる思想潮流が70年代半ばから登場したことが大きなインパクトを持つ。ここで、M・フリードマンやR・ノージックなどの思想分析に立ち入る余裕はないが、これらの思想が公民権運動や福祉国家政策への思想的反動として出てきたことを確認しておこう。

しかし、ここで強調しておきたいのは、1970年代から続いている思想的反動は、もともとブルジョア古典的リベラリズムのなかにあった要素を、異なる段階(多国籍企業の支配の段階)で恣意的に受け継ぎ、それを世界的な福祉国家バッシングへ結びつけ、最終的にはアメリカの世界戦略を支える力になっているという点である。

アメリカ政府が必死で忘却しようとしていることだが、アメリカ自体が福祉国家へ前進した時期があった。1930年後半から1940年代前半のニュー・ディール期のアメリカは、「第二人権章典」(1944年)を発表するほど画期的な動きを含んでいた(2)。第二人権章典は、1776年建国以来のジェファーソン的民主主義(厳密には自由主義)と質的に異なり、アメリカ憲法の構造を福祉国家に変革するだけの内容をもっていたが、そこまで届かず。1950年代以降露わとなった反ニュー・ディール政策によって破壊されていった。

それでもなお、ニュー・ディール政策の余波が世界戦略上残存していた戦後直後に国連は組織され、アメリカは自己が造った国連人権憲章体制(国際人権規約を含めてそう呼ぶ)と敵対するようになっていった。

このことをハッキリと証明しているのは、アメリカと国際人権規約の関係である。アメリカは、先進国の中で、ただ一国国際人権規約の社会権規約(経済、社会および文化的権利規約)を批准していない。すでに批准している諸国は146ヵ国(2003年)にのぼる。批准していない諸国は44ヵ国、署名したが批准していない諸国は6ヵ国、ラオス、ベリーズ、サントメ・プリンシペ、南ア共和国、カザフスタン、そしてアメリカ合衆国である。

 アメリカは、このほかに「国連女性差別撤廃条約」、「子どもの権利条約」、「ILO条約100号」(同一価値労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約)、「同156号」(家族責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約)も批准していない。ユネスコ、ユニセフへの冷淡さも抜群である。つまり、社会権的なカテゴリーを全面的に拒否してきたのである。

 アメリカのコーネル大学のヘンリー・シュー(1980)(3)によると、国際社会権規約の条文を巡る国連内の論争が1951年に起こったとき、アメリカ政府は社会権規約に「漸進的に達成されるachieving progressively」という一語を入れるようにロビー活動をさせた。このとき、自由権規約と社会権規約の法的な性格の違いという論点をひときわ強調したのは、Kotshnig(アメリカ)であった。アメリカは、自由権規約には「漸進的達成」などという注文をつけなかった。

このことが、きっかけになって、国際人権規約を単一文書にまとめるとした1950年国連総会の第5会議(UNGA Resolution 412 E(D)of 4 December 1950)の結論は、翌年、第6回総会には逆転させられ、人権規約は二分割されることになった(4)。国連総会議事録を見ればわかるとおり、ソビエト・ブロックは単一的な包括規約を支持し、他方西側ブロックは分割案を支持した。こうして、アメリカは1946年の見解(当初アメリカは単一文書を提案していた)を投げ捨てるのみならず、分割案で西側を結束させることによって、社会権規約を敵視する方向へと180度転回したのであるibid.,pp.158-9)。

 1978年、人権外交を謳うカーター政権は社会権規約を批准しなかった。この根拠に、先の「漸進的に達成される」があげられたという。後にカーターは、社会権規約の重要さを知ったと語っているが、少なくとも、上院やホワイトハウスでは、社会権規約を敵視する風潮が非常に強いことがわかる。

レーガン政権(19811989年)になると、この傾向はもっと明白となった。レーガンに抜擢された米国連大使J・J・カークパトリック(5)は、自由権一本で外交を基礎付け、一切の社会権を無視した。これがブッシュ政権まで連続している。

さて、1951年の論争の思想的な原理は何であったろうか。自由主義理論から引き出される伝統的な原理、たとえば個人の優越性(the Primacy of the individual)の原理がそれであった。この立場からすれば、もし社会権規約を自由権規約と同列に置くならば、「個人の優越性原理」が侵害されるであろうと西側の国家は主張したのである。

国際人権規約論争が示しているように、アメリカを中心にして、「個人の自由」つまり自由市場の論理はきわめて根強い。しばしばアメリカ政府は、社会権規約とアメリカ憲法は相容れないとも率直に述べている。これは現代の核心をなす問題把握なのである。

 

3.アメリカ憲法は時代遅れである

アメリカ政府の問題把握は、逆説的に、社会権規約とアメリカ憲法の矛盾を告白している。言い換えれば、世界の格差、不均等、テロリズムの温床は、国連人権規約を誠実に履行しないアメリカの世界戦略から帰結するものなのである。日本国憲法(1947年)の「改正」問題が浮上してきているけれども、もし、日本国憲法が時代遅れであるならば、なぜアメリカ憲法(1789年)は一層時代遅れであるという批判が起こってこないのであろうか。ここに、憲法問題がたんに時間の問題ではなく、すぐれて政治イデオロギーの選択の問題であることが示されている。

アメリカ憲法への根底的な問い直しは、アカデミズムではすでに始まっている。たとえば、カナダの気鋭の憲法学者J.ネーデルスキー(6)は、アメリカ憲法を現代的な民主主義の視角から捉え返せば、反民主主義的な憲法であると規定している。「反民主主義的」であるという意味は、アメリカ憲法の想定する、私的所有、制限された政府などの立憲主義は市場社会の経済的不平等をもたらすものであって、民主主義によりふさわしい福祉国家の障害になっていると総括されるからである。また、比較福祉国家論を展開するアメリカの経済学者アレシナとグレーサー(7)は、欧米の違いを構造的に掘り下げている。彼らによると、アメリカ憲法とその遅れた福祉国家の間には内在的な関係がある。

これらをまとめると、欧米の異質性が出現する根拠は、1990年代以降のあれこれの逸脱や単独行動の選択によるものではなく、むしろ1950年代以降の反ニューディール政策の中で構造化され、1970年代の公民権運動のインパクトを押し退けて貫く、公低民高のアメリカ独特のレジームが形成された一つの帰結なのである。この違いは、この半世紀ずっと拡大してきた

アメリカの社会レジームは、憲法構造からすれば18世紀自由主義のままであり、この「遅れ」を基盤にして、逆説的に多国籍企業と結合しているのである。これにたいして「社会的ヨーロッパ」は、多かれ少なかれ20世紀に自由―民主主義の展開を行った国である。したがって、両者の違いは、深く思想構造上の違いに求められるのである。

日本社会は、憲法的には社会権をもち、一部留保してはいるが国際人権規約を批准している。したがって、法的構造からすればヨーロッパ型福祉国家に近づく可能性をもつけれども、アメリカとの同盟関係ゆえに、ますます市場社会へ接近しつつある。

 

4.個人的所有individual propertyと福祉国家の理論的な関係

 ここまでの考察からすれば、17世紀以来の自由主義思想の本質をなす「所有的個人主義possessive individualism」は、多国籍企業が支配する世界資本主義のなかで、現代でももっとも深いよりどころを与える思想である。

新自由主義の論理は、福祉国家が強化されるならば市場社会に託された「選択の自由」「強制なき自発性」(M・フリードマン)が減少し、「国会依存」が増大するというロジックである。公が強化されれば民が弱体化するという論理と民は公よりも効率的であるという論理が結合すると、福祉国家叩きの論理が完成する。

この論理は、ブルジョア古典思想にあった「万人の理性」や「最大多数」の思想を排除し、市場社会の論理を万人化する。

従来までの社会科学は、実証主義の影響によって人権論を構想する力が弱い。少数の人権派の社会科学も、資本の論理に社会権を対置する傾向が強かった。それは、資本主義と社会権の対立面を解明する上で、ある程度避けられなかった。だが、福祉国家の支持基盤を拡大しようとするならば、社会権が底辺層を守るだけでなく社会の最大多数を守るものだということをはっきりさせる必要が出てくる。

この点をいち早く提起していたのはC・B・マクファーソンである。彼は「20世紀後半における人権の問題」(1985年)という論文で、国際人権規約の市民権と社会権が分割されている事情を解説した後、リベラル派の一部や社会主義者に「財産権ではなくて人権を!」と主張する人が存在することを指摘し、「世界はまるで人権支持派か、それとも財産権支持派かのいずれかに分割されているかのように見える」と特徴づけた。

マクファーソンによれば、「人権か財産権か」という対置では人権派は勝利できない。「このはっきりした袋小路から脱出する道は、すべての人権を個人的な財産権(個人的所有権individual property rights)として扱うことによって発見できる」という。「財産権が西洋の自由主義の伝統に深く根ざしたところでは、人権を財産権に対置するよりも、人権を個人的所有として扱うことによって、より効果的な運動を行うことが可能である」(8)と述べた。

マクファーソンの洞察は重要である。いわゆる生産手段の私的所有を基礎とする市場社会では、賃労働者をはじめ民衆は「労働手段へのアクセス」を行うことができない。アクセスできない民衆は、自由主義国家では、階級格差と競争のなかに投げ込まれ、無力化する。しかしもしも、自由―民主主義国家(すなわち福祉国家)を形成して、所得再分配、労働時間規制、自由時間保障、労働力再生産過程の脱商品化(保育園、老人介護など)を達成することができれば、社会のかなりの領域で「労働手段へのアクセス」を部分的に回復し、財産を国家の力を利用してカバーすることができる。

マクファーソンは、17世紀以来の所有的個人主義が「私有財産権としての人権」に依拠していたのにたいして、20世紀後半からは「財産権としての人権」が出現してくるのだと指摘していた。これは、21世紀の今日では、北欧や広く「ヨーロッパ社会モデル」においてすでに現実化されてきたことなのである。

 

5.格差社会 対 福祉国家同盟論

現代日本では、人権と財産権(所有権)の関係は様々なかたちで現れている。第一に、税金を国家に取られるものとして受け止める観念は、自由主義、新自由主義に共通であるが、これは「私的所有権としての人権」観に対応している。第二に、社会的弱者の救済のために資本主義を非難する水準では、人権と財産が対置され、人権は抽象的な理念主義に終わりやすい。第三に、「財産権としての人権」を保障する水準では、税金が再配分されることによって社会の大多数の階層の「財産」が現実に増大するというメカニズムを理解することが可能となる。

エスピン=アンデルセン(9)は、北欧福祉国家がいかにして形成されたかを説明するにあたって、労働者階級と新中産階級の階級同盟の形成の成功をあげていた。これを、マクファーソンの議論と結びつけるならば、階級同盟は「財産権としての人権」に踏み込んだ場合に支持される可能性が生まれるということである。

老齢年金をはじめ、老人介護、子育ての脱商品化を大幅に国家が行い、働く新中間階級の「私有財産」(賃金)の不足を国家による「財産」保障によって安定化させる(再分配)ということが思想的な接着剤になる場合にのみ階級同盟の基盤が形成されてきたからである。

 

6.結論に代えて

格差社会の強化は、決して、必然ではなく、かなりの程度まで、市場社会と社会権の間の攻防によって規定されている。

アメリカ・ネオリベラリズムの矛盾は、国内では「リラクタントな福祉国家」、国際的には「国際人権規約の批准拒否」で、壁に衝突している。日本社会の矛盾も基本的に同型である。この場合、学問は、次のような課題を引き受ける場合に戦略的な有効性を持つ。

(1)すでに存在する国際的枠組みを下へ降ろしてゆくこと。国連の国際人権規約、経済社会委員会、ユネスコ、ユニセフなどの議論を日本の哲学や社会科学の側から支え、市場社会が生み出す社会問題、日米政府の政策選択、新自由主義が衝突している倫理的なヘゲモニーの弱点を民衆側へ降ろしていくこと。

(2)すでに存在している社会運動の理論枠組みを底上げしていくこと。「make poverty history」や「世界社会フォーラム」の動きは、世界的な社会運動の新しい流れをつくっている。世界的な下からの動きを世界哲学界や世界社会科学界へ投入し、日米欧の先進国の学問共同体における学問形成がそれらと接点を持ちうるような仕組みを構築すること。

(3)上記のような学問動向を日本のアカデミズムのなかに再投入し、日本の学界や世論が構造的にもっている閉鎖性(情報のうえでの対米依存的鎖国)を変えていくこと。

 所有的個人主義から「個人的所有」の再建への道は、日本では、おそらく(1)〜(3)なしには不可能であろう。曲がりくねった道と言わざるをえない理由もそこにある。

 

(1)   John Sondergaard,Is increased inequality inevitable?in John Eriksen et.al.Increasing Social Inequality,NOVA,2001.世界の最富裕200人の所得は、世界人口の年間所得の41%を上回っている。ビル・ゲイツ、ブルネイ国王およびウォルトン家族の資産は約1350億ドルで、6億人の年収に匹敵する。Jeremy Seabrook,The No Nonsense guide to World Poverty,Verso,2003.

(2)   F.Roosevelt’s Annual Message to Congress,January2,1944.

(3)   Henry Shue,Basic Rights,Pronceton University Press,1980.

(4)   Dobbes Ferry,The United Nations and Human Rights eighteenth Report of the Commission to Study the Organization of peace,1968,Oceana Publication,inc.p.105.

(5)   Jean.J.Kirkpatrick,The Withering away of the Totalitarian state,1990.

(6)   Jennifer Nedelsky,Private Property and the Limits of American Constitutionalism,The University of Chicago Press,1990.

(7)   Alberto Alesina & Edward L.Glaeser,Fighting Poverty in the US and Europe,Oxford,2004.

(8)C・B・Macpherson,Rise and Fall of Economic Justice,1985

(9)Gosta Esping-Andersen,The Three Worlds of Welfare Capitalism,1990.