〈自由放任型個人主義〉から〈個人化のポリティクス〉へ

 

鈴木 宗徳(南山大学)

1.「機会の平等」論の陥穽

 「日本に新たな階層分化が生じている」「格差社会になりつつある」という指摘は、5年ほど前、バブル崩壊から10年を経た頃から、論壇で目立つようになった。そうした議論の多くに見られるのは、「機会の平等」の重要性を強調するという傾向であり、一方の「結果の平等」への配慮をにじませた議論は、むしろ少数である。ここで言う「機会の平等」論とは、「負け組」の階層が親から子へと再生産されることによって、彼らの、階層を上昇する意欲が喪失してしまうという問題の指摘であり、例えばこれを、苅谷剛彦は「インセンティブ・ディバイド」と呼び、山田昌弘は「希望格差社会」と呼んでいる。斎藤貴男の著書『機会不平等』がもっとも端的な例であるが、いずれの論者も、競争に参加するスタートラインですでに階層間にハンディが生じていることを問題にしており、すなわち、競争に参加する機会の不平等、さらには競争に参加する意欲の不平等が批判されているのである。

格差社会を生み出しているのは、まぎれもなく、自由放任を基調とする新自由主義的政策である。そう考えるならば、「機会の平等」論者たちの主張は、剥き出しの新自由主義に比べればかなりマシな議論であって、その意味で、「権力的人間観」のオルタナティブになり得るのではないか?と期待するむきもあるかもしれない。しかし本報告の主張は逆であり、むしろ「機会の平等」論にはいくつかの陥穽がひそんでいることを指摘するものである。

本報告では、主として次の三つの論拠を用いて「機会の平等」論を批判する。1.「機会の平等」論は、しばしば「負け組」からの脱出をめざす「自立支援」という政策に結びつく。しかしこうした政策は、例えば失業というリスクの問題を自己責任において克服すべき「個人的な問題」へと縮減してしまい、それが本来は「社会的な問題」であることを隠蔽する効果をもつ(“個人化のポリティクス”)。2.「自立支援」の政策はしばしばカウンセリングといった方法を用いるが、こうした方法自体が、社会的な水準の問題(=下部構造の問題)を心理的な水準の問題(=上部構造の問題)として解決させるというイデオロギー的効果をもっている。3.「自立」を善であるとして称揚することは、「依存」を悪であるとして否定することに、容易にむすびつく。これは、福祉を媒介として国家や社会に依存せざるを得ない弱者にたいし、スティグマを与えかねないものである。

「機会の平等」論は、全員が同じ競争のスタートラインにつくべきであるという理想を、暗黙の前提としている。そこにはさらに、一時的に競争から離脱した者は即座に戦線に復帰しなければならない、という理想も見え隠れする。しかし、社会の中にはそもそも競争をすることができない真の弱者が存在することに目を向けるならば、むしろ「機会の平等」以上に強調されなければならないのが、「結果の平等」であろう。しかし、日本にかぎらず先進資本主義国においては、依然として「結果の平等は悪平等である」という偏見が根強いように思われる。こうした偏見を打破する必要があるとするならば、まずは先に「機会の平等」や「自立支援」のイデオロギー性を暴露するという迂回した戦略をとらなければならないというのが、報告者の基本的な立場である。

 

2.第三の道とは何か

はじめに手がかりとするのが、同じ「機会不平等」の克服を最優先課題とする、イギリス・ブレア政権による「第三の道」の政策であり、そのブレーンである社会学者、アンソニー・ギデンズの主張である。97年に政権交替をはたしたトニー・ブレア率いる新生労働党(ニュー・レイバー)政権のスローガンである第三の道は、「構造化理論」や「モダニティの社会学」でも知られるギデンズの著作に多くを負っていると言われている。

第三の道とは、社会民主主義(第一の道:オールド・レイバー)と新自由主義(第二の道:サッチャリズム)の双方を超える、という意味である。「左」の社民主義による「揺り籠から墓場まで」の高福祉高負担政策が、産業の停滞と労働者の福祉依存(モラルハザード)を招いたとするサッチャー政権は、80年代、サプライサイド重視の新自由主義改革を断行する。結果としてイギリスの景気は上向いたものの、後に残されたのは階層間格差の問題である。

第三の道の政策には、左右それぞれの主張と重複するものも多数あるが、両者に還元されない論点が「機会の平等」の主張である。第三の道は、「結果の平等」の必要性を否定はしないものの、「機会の平等」をより重視している。一方の新自由主義が平等や公正を無視し格差拡大を容認するのにたいし、他方の社民主義は「結果の平等」のみを志向し、競争の敗者が自助努力によって競争に復帰することを諦めさせてしまう。格差拡大と福祉依存が生み出したイギリスの問題は、現在、第三の道に限らずイギリスやフランスにおいては、「失業」よりむしろ〈社会的排除social exclusion〉と呼ばれることが多い。〈社会的排除〉とはさしあたり、雇用のみならず、教育・医療・住宅環境などのさまざまな点で階層間の格差が拡大し、不平等が世代を超えて再生産され、社会の統合integrationが不全状態に陥ることを指す。福祉の恩恵を被る失業者たちが、失業者という地位に甘んじるだけでは、その子弟たちもまた同じ運命をたどる。その結果が、都市郊外に生まれる非行・犯罪の多発地域であるとされる。

〈排除exclusion〉を〈包摂inclusion〉に転換するために第三の道が主張するのが、「機会の平等」、すなわち教育・訓練および(失業者などの)再教育・再訓練である。これを彼らは、「労働のための福祉welfare to work」もしくはポジティブ・ウェルフェアと呼んでいる。わが国では普通、ワークフェアと呼ばれている。ギデンズは、新自由主義による不平等の是認は、労働者の潜在能力を無駄にするものだと批判する。労働市場の自由化は、企業に労働者を教育するインセンティブを失わせる。企業にとっては、教育・訓練にコストをかけたところでいつ辞められるか分らず、新規に能力のある者を雇用した方が有効だからである。「排除」された者にも競争の「機会」を与える「平等」を、政策が保障しなければならない。

そのためにブレア政権は、「労働のための福祉プログラムWelfare-to-work Program」なるものを導入している(詳細は[藤森2002]を参照)。そのうち、たとえば若年失業者対策についていえば、失業者にまず四ヵ月の職業・教育訓練の機会を与えたうえで、四つの選択肢(@民間部門での就労、Aフルタイムの職業・教育訓練、Bボランティア団体での就労、C環境保護団体での活動)を提示する。そして、そのいずれをも拒否した者には、失業手当の給付がカットされる。失業手当を無制限に与えるのではなく、失業者には、積極的に職探しをする義務が伴わなければならないというわけである。ギデンズは、「権利には必ず義務が伴う」ことを強調し、しばしばその権利を軽視する姿勢が批判されるほどである。就職活動には個人アドバイザーがつき、精神的ケアも含めたカウンセリングが行われている[藤森2002, 215]。就職活動は、なかば強制的に進められると言ってよい。

こうした政策を正当化するために、ギデンズは自分が理想とする人間観について語っている。彼はたとえば、「責任あるリスク・テーカー」の社会をつくることを目指すと述べる。「リスクを積極的に引き受けることこそが、経済を活性化させ、社会を改革するための不可欠の営為なのである」[Giddens2000b, 35=76]。人は、「状況が悪化した際には保護を必要とするが、人生における重大な転換期を乗り切るために必要な、自前の経済力と精神力を持ち合わせていなければならない」[Giddens1998, 100=170]。政治の役割は、「リスクのポジティブでエネルギッシュな側面を活用し、リスクの引き受け手にたいして資源を供与すること」[ibid. 116=195]にある。ギデンズの強調する教育・訓練は、初等・中等教育に限定されるものではない。むしろ人生の全体にわたって、くりかえしプランを設計しなおせる能力を与えることが、その目的である。たとえば高齢者についても、年金受給者ととらえるのではなく、むしろ人的資源とみなさなければならない。

 

3.失業対策の心理学化

 報告者は、こうしたギデンズの人間観は――ふつう政治とは無関係と思われている――彼の社会学の著作が共有するものであると考えている。彼は『モダニティと自己アイデンティティ』において、「高度近代」という時代においては、自己アイデンティティと人生を「再帰的reflexive」に繰り返し設計し直すことが一般的になると説明し、そのためにカウンセリングやセルフ・セラピーという方法を用いることが重要になると指摘している。セルフ・セラピーをおこなう者は、繰り返し「いま起こっていることは何なのか?」とみずからに問い直し、アイデンティティを一貫した自己の物語として構築しなおすことが求められる。自伝をつねに修正することが奨励され、既成の行動パターンを打ち破り、依存を脱することが目標とされ、そのためには個人的リスクを意識することも必要とされる。「家を離れること、新しい勤め先を見つけること、失業に直面すること、新しい関係をつくること、異なる地域やルーティーンの間を行き来すること、病気と対峙すること、セラピーを始めること――、これらはすべて、パーソナルな危機が切り拓く新しい機会を掴むために、意識的に演出されたリスクを作動させることを意味する」[Giddens1991, 79]。

 こうした「自己アイデンティティを再帰的に構成する」現代人の姿は、たしかに、社会学者としてのギデンズがおこなう客観的な描写であり分析である。しかしそれが、第三の道の文脈で彼が主張する理想としての人間像と同一であるとしたら――報告者は同一であると考える――、彼の社会学が孕むイデオロギー性は明らかである。再帰的に人生の物語を構成するという人間像は、本来は社会的な問題であるはずの失業や離婚というリスクを、過去の個人的エピソードであるとして納得するように躾けられた人間にほかならない。そしてカウンセリングやセラピーは、そうした訓育を国家がおこなう上での手段なのである。

 彼は、『左派右派を超えて』においてすでに、個人の幸福にとって内面世界の管理、あるいはアイデンティティのマネージメントが重要であることを主張している。彼は、これまでの左派が物質的条件ばかりを強調してきたことを批判し、むしろ、失業の原因には「否定的な自己アイデンティティの物語」があることを指摘する。彼にとって問題は、たとえば「意欲の喪失――いつの間にか無関心、無感動、あるいは絶望に陥ること――と、衝動強迫性、つまり、自分では抑制できない感情的過去にたいする切羽詰った依存」[Giddens1994, 192=243]であるとされ、国家は「依存状態の予防に重点をおくかたちで」[ibid. 195=247]福祉がおこなわれるべきであると主張する。

 

4.個人化のポリティクス

 こうしたギデンズの思想は、「自由放任」型の新自由主義の思想とは対極にありながらも、それとは別の意味で空恐ろしさを感じさせるものである。言ってみれば、彼の思想は「放任」ではなく「訓育」である。直面する問題を克服しようとするさい、内面世界の管理に焦点があわせられることによって問題はますます「個人化」し、その結果人々はますます「自己責任」原理の罠に落ちこんでゆく。たとえば齋藤純一は、第三の道の政治が自己統治Self-governmentality)の意欲や能力に欠けるとされる人びとをマークする危険性をはらむと、批判している[齋藤2001]。こうした訓育の政治の問題性を明らかにする上で有益なのが、ウルリッヒ・ベックの「個人化」の議論である。

 ギデンズの再帰性理論は、ベックの主著『リスク社会』で展開される「個人化」という時代分析から大きな影響を受けている。「個人化」とは、個人のライフスタイルの多様化し、それによって個人の選択の可能性が拡大し、同時に個人の選択(=意志決定)の責任が増大したことを指摘する議論である。

ベックによれば、「個人化」が進展する以前、個人の意志決定の責任がさほど重要ではなかったのは、たとえば「階級」という集団的アイデンティティが強固だったからである。この文脈では、「個人化」とはさしあたり階級意識の低下を指すと理解してかまわない。所得の格差は依然として存在するものの、階級文化や階級的アイデンティティ、さらには階級にもとづく連帯が消滅していると、ベックは主張している。それによって、「失業はもはやある特定の階級が見舞われる過酷な出来事ではなくなり」、「大量失業が個人的運命として人間に負わされる」時代がやってきたと述べるのである。

こうした認識はギデンズにも共通するが、ベックがギデンズと異なるのはここから先である。ベックの場合、彼はこうした「個人化」という現象について、若干ではあるが批判的な言明をおこなっているのである。彼が「大量失業が個人的運命となる」と言うとき、それは、大量失業という現象が、政治的抗議なしに受け入れられてしまっている現状にたいする批判を含んでいる[Beck1986, 149=181]。

 

「労働組合や政治による雇用労働者のリスクの処理形式は、個人化しつつある、法的・医学的・サイコセラピー的なカウンセリングないし補償と、競合関係にたつ。」[ibid. 155=189

「社会問題が、直接、心的性向の問題へと変えられた。つまり、個人レベルにおける満ち足りない気持、罪の意識、不安、葛藤、ノイローゼの問題となった。…ここには、現代の『心理学ブーム』の根もある。」[ibid. 158-9=193

 

失業というリスクの処理形式は、労働組合や政治から、カウンセリング、セラピーへと変化している。両者が「競合関係にたつ」というのは、現在、カウンセリングやセラピーが、政治的問題の処理という機能を担っている、すなわちそれが政治的な装置であることを示している。こうした装置を通じて、失業という個人的リスクが政治的抗議という回路を通じて暴発することはたくみに回避され、カウンセリングに代表されるまさしく個人的な回路によって、処理=ガス抜きされるのである。逆に言えば、社会的な問題、あるいは政治的な問題を個人的な問題として処理するところに――すなわち大衆を脱政治化する効果をもつところに――、カウンセリングを用いた方法の隠された政治的意図があるとも言えるのである。こうした意図を隠しもつ政策を、本報告では〈個人化のポリティクス〉と呼ぶことにしたい。

日本と比較すると10年ないし20年早く格差社会に突入したアメリカやイギリスでは、92年のロス暴動といった事件は、為政者にとって忌まわしい記憶なのだろう。この〈個人化のポリティクス〉が、階層分化よる社会統合の解体という危機を、すなわち直接的には反乱や暴動や犯罪を、回避もしくは隠蔽する政治手法のひとつであることは銘記しておかなければならない。その意味で〈個人化のポリティクス〉は、保守派が伝統的におこなってきた「国民」統合という政策の代替物もしくは補完物にほかならない。上からのイデオロギーの押し付けによる統合なくして反抗を沈静化するのが、こうした政策の核心なのである。

今日の個人主義を、粗暴な「強者の個人主義」であるとばかり理解する必要はない。その一方には、カウンセリングという手法を用いて弱者には弱者なりの運命を受け入れさせ、自暴自棄になったり無目的に反乱したりすることのみを抑制するという、ある意味で洗練された発想が存在し、それは、たとえばアメリカの文化に――「告解」という前史をもちつつ――深く根ざしたものである。

 

4.依存のスティグマ化

 イギリスやアメリカで行われている〈個人化のポリティクス〉は、日本と無関係な話ではない。その萌芽は、近年「自立支援」という名のもとに導入されているさまざまな施策のうちに見ることができる。「若者自立・挑戦プラン」しかり、「障害者自立支援法案」しかりである。

 失業し、さらには「ひきこもり」になった「ニート」たち(これもイギリスで生まれた言葉である)を自立させるためには国家的な施策が必要だという論調は、日本でもすでに幅広い合意を得ていると思われる。こうした議論の先鞭をつけたのが、1996年に宮本みち子らによって訳された、イギリス人社会学者たちの著作『若者はなぜ大人になれないのか――家族・国家・シティズンシップ』(G・ジョーンズ、C・ウォーレス著)である。これは、「依存した子ども」が「自立した市民」になるプロセスに、国家や家族などがどのようなかたちで介在しているかを分析した本である。政策提言を目的とした本ではないが、その批判は明らかにサッチャリズムにたいして向けられている。つまり、サッチャーは「小さな国家」を実現するために「家族の道徳的責任」を過度に強調し、結果として、若者の家族への依存を助長してしまったという主張である。むろん、格差社会においては若者を依存させる経済的余裕のある家族は限られており、結果として若者の間の格差を助長してしまったことが問題とされているのである。したがって、明に暗に主張されているのは、若者の自立のためには国家的介入が必要であるという思想である。

 国家的施策の是非はともかく、本書がなにより――報告者にとって――奇異に映るのは、若者が経済的に自立することが「シティズンシップを獲得する」ために不可欠の前提であるとして論じられていることである。「シティズンシップ」という言葉の意味するところについてはTH・マーシャルなどをひきつつ論じているものの、結局のところ釈然としない。しかしこうした議論はブレア政権のインクルージョン政策の場合にも引き継がれ、その政策目標もまた「シティズンシップの付与」であるとされている。

 しかし、シティズンシップの付与如何について、経済的な自立如何をメルクマールとして判断することは、そもそも「自立」する能力をもたず「依存」せざるを得ない真の弱者にたいしてスティグマを与えてしまう危険性を孕んでいる。こうした「依存のスティグマ化」という問題を考える上で、ナンシー・フレイザー(とリンダ・ゴードンによる共著)の論文、「『依存』の系譜学――合衆国の福祉制度のキーワードをたどる」(1994)を参照してみたい。

 この本でフレイザーたちが批判する対象は、若者の自立云々の問題ではなく、福祉依存は悪であるという一般的な偏見である。彼女たちによれば、アメリカにおいて「福祉依存」という言葉が喚起するイメージは、なにより「しばしば10代の、未婚で、性行動をコントロールできない、黒人の『生活保護を受けた母親welfare mother』」であるという。加えて、この「依存」という言葉は、こうしたシングル・マザーたちの“福祉依存”が、心理的問題であるかのように見せかけるものであるとされている。

 1980年代以降、「薬物依存」や「アルコール依存」といった言葉が、嗜癖(addiction, 中毒)の婉曲表現として広く用いられるようになる。“福祉依存患者”は中毒症患者と同一視され、そのスティグマ化が進む。女性一般について言えば、1981年に出版された『シンデレラ・コンプレックス』は、女性には「自立への恐怖が隠されており」「救い出されたいという願望」があると論じている。さらに1980年代末には、「共依存」を女性に特有なものと見なす膨大な書物が出版されたという(共依存とは、他者にたいして自己犠牲的に献身することによって自分の存在意義を見出そうとする病理現象。夫婦間――とくに妻の側――に多いとされる)。フレイザーたちは指摘していないものの、この時期に共依存を扱った書物のひとつとしてギデンズの『親密性の変容』(1992)を挙げてもよいだろう。嗜癖や共依存について社会学的に論じたこの本は、“福祉依存”については一言も触れてはいないものの、丹念に読めば自立を肯定し依存を否定するという政治的含意が隠されているのは明らかである。(フレイザーには触れていないものの、アダルト・チルドレン概念の普及など、依存の心理学化という状況が日本にも見られることを指摘するのが、山家歩「依存を通じての統治――ACや共依存に関する言説についての検討」(2003)である。)

 フレイザーたちは、フーコーに倣って「依存」概念の系譜学を展開する。かつて産業化以前の社会においては、女性のみならず、男性も経済的に他者に依存していることは、正常であるとされていた。しかし18世紀以降、産業化とともに「依存」の一部に恥辱的な意味が与えられ、スティグマ化していった。つまり、ある種の「依存」は“黒人”には相応しいが“白人”には相応しくない、“女性”には相応しいが“男性”には相応しくない、といった観念が誕生したのである。さらに民主主義の時代に成立した「シティズンシップ」という概念は「自立」概念を基礎とするものであり、市民的諸権利と参政権を勝ち取った白人男性労働者こそが、いち早く「依存」を脱した者と見なされた。「依存はシティズンシップと対立するものと考えられていた」のである。その一方で、有産者、すなわち労働をせずに生活できる者を指して「自立している」という用法が一時的に登場するものの、プロテスタント的な労働倫理の影響のもと、じきに白人男性労働者たちは「賃労働による自立」を主張する方向へと移動してゆく。

 産業主義の時代には、「依存」を体現する三つのイメージが生まれた。第一は慈善に依存する「被救済民pauper」で、性格は破綻し意志は薄弱な者たちであると侮蔑的に捉えられていた。これが「依存」の道徳的・心理学的用法のはじまりである。第二は、植民地の原住民および奴隷で、人種主義によって生得的に「依存的」であると見なされた。第三は「主婦」である。「賃労働による自立」を主張する男性たちのプライドは家族賃金という理想を掲げ、それが達成される過程で「男性への女性の依存」が要請されたのである。

 19世紀末になると、「依存」は福祉と関連をもつようになる。とくにアメリカという国では、独立革命が「自立」の価値を安定化させて以来、「依存」は個人の性格の欠点を表す概念として練り上げられていった。「自立」概念は、一方では労働運動や女性運動を強化したものの、他方で、「依存」を自明とする封建的な階層秩序が不在であることによって、貧者による公的扶助の受給にたいする反感を強化していった。福祉の享受は恥辱をともなう行為となり、これがさらに、国家への依存よりは男性への依存の方が好ましいという観念を強化することに手を貸した。シングル・マザーを“福祉依存”の典型と見なす考え方は、こうして生まれたのである。

 ポスト産業主義の時代に入って、「家族賃金」が崩壊し、女性も労働者に組みこまれるようになると、あらゆる「依存」は「回避できるもの」、さらには「非難されるべきもの」となった。社会構造的に「依存」が不可避である状況などもはや存在しないとみなされ、残存する「依存」はすべて個人の落ち度であるとされてしまう。こうした「依存の個人化」に拍車をかけるのが、「依存」概念の心理学的・セラピー的用法である。共依存に荷担する者は咎められ、看護労働者や介護労働者を含めて、依存者の世話をする者の地位の低さが強調された。1980年、米国精神医学会は「依存性人格障害」を正式な精神病理としたが、その定義によれば「この障害をもつ人々は、過大なる量の他者からの助言や励ましなしには日々の決断を行うことができず、…この障害は、…女性においてより頻繁に診断される」とされている。ついに「依存」の背後にある社会的関係性は隠蔽され、「依存」は人格障害の問題に縮減されてしまったのである。92年のロス暴動に際して当時の副大統領ダン・クエイルは、「われわれの都心は、子どもをもつ子どもらによって…つまり、薬物や生活保護という麻薬に依存した人々によって満たされている」と述べたという。

 

6.〈個人化のポリティクス〉から〈連帯〉へ

 以上の考察を踏まえて、一体どのようにして「権力的人間観のオルタナティブ」が構想できるだろうか。

 まず、なによりそれは、新自由主義のみならず、そのオルタナティブであると自称する〈個人化のポリティクス〉までをも同時に乗り越えるものでなければならない。そのためには、第一に、社会的問題を個人的問題へと還元する〈個人化〉の趨勢に抗することが不可欠であり、第二に、「依存は悪である」としてスティグマを与えられている人々が「安んじて他者に依存できる」社会をつくり出すことが不可欠である。そのためには、「自立」や「シティズンシップ」よりも、――「個人化」に抗するという意味で――〈連帯〉という価値がさらに上位に位置することを、まず確認しなければならない。

 「自己責任」原理の空虚さを言葉で否定することはたやすい。しかし「自己責任」原理によってアイデンティティを傷つけられた人々と連帯し、彼らとともに「安んじて他者に依存できる社会」をつくりあげるという課題は、けっして容易なことではない。こうした困難な課題を遂行するうえでヒントとなるのが、フランスの社会学者ディディエ・ドマジエールとマリア=テレーザ・ピニョニによる『行動する失業者――ある集団行動の社会学』である。

 本書は、97年から98年にかけておこなわれた失業者たちによる大規模な集団行動を、「驚き」とともに分析したものである。それが「驚き」であるというのは、失業者が連帯して行動を起こすなどけっして容易ではないからである。先に紹介したベックによる「個人化」の議論では、大量失業は「満員のバスに乗り合わせた乗客」に喩えられている。すなわち、失業というバスはつねに満員であるにもかかわらず、お互いが無関係に乗車と下車をくりかえし、乗車中はお互いに口もきかない、という状態である。たしかに失業者は年齢も技能も失業期間も様々であるし、求職中であるかぎりお互いに競争相手であらざるをえない。だから社会学者は失業者の孤立化や脱社会化ばかりを強調していると、ドマジエールたちは批判する。そして彼らは――ベックの名は挙げていないもの――社会学者のこうした通説に抗するために、97年の失業者が連帯した実例を強調するのである。この抗議行動は、暴動でもなければ反乱でもなく、計画的に練り上げられた主張を掲げるものであった。さらに彼らは〈社会的排除〉という概念をも批判し、この概念こそが失業者と非失業者(なかでもワーキング・プア)を分断し、両者に共通する問題をともに解決することを阻害していると批判する。

 97年の集団行動の意義をドマジエールたちが強調するのには、もう一つの理由がある。この行動は、「失業者」の定義を根底から変革するものだからである。従来の定義では、失業者とは、求職活動をする義務をもち、それゆえ雇用と再雇用とのあいだの過渡的な状態にある者とされていた。その意味で失業者は不完全な者であるというスティグマを与えられていると、ドマジエールたちは言う。したがって、失業者が連帯することはおろか、失業者に代表権を付与することなど不可能であると見なされてしまう。しかしこの集団行動が掲げた主張は、こうした定義そのものに抵抗するものであった。その主張とは、第一に、失業者の代表権を認めさせること、第二に、法定最低賃金を引き上げること、そして第三に、低賃金で不安定な雇用など、不適切な雇用を拒否する権利を認めさせることであった。

 二つ目の主張とともに、とくに三つ目の主張が肝要である。本報告で眺めてきた「自立支援」の政策とは、格差社会の現実のなかでは、「自立」という美名の下、じっさいには「不安定雇用への就労を強要する」政策へと転化しかねない。この点は「第三の道」の本質を理解するうえでも重要である。ブレア政権が強調している再教育・再訓練は、けっして高度に専門的な知識や技能を修得させることを主眼としたものではなく、むしろ履歴書の書き方や面接の心構えなど、基本的なリテラシーにかかわる教育ばかりがおこなわれているという指摘がある。この指摘が正しいとするなら、仮に幸運にも再就職を果した者であっても、結局は不安定な地位を転々とするだけで、能力の格差を固定化し、格差社会を固定化することになりかねない。失業者を減らしはするものの、結局はワーキング・プアを増やすのがこの政策だ、というわけである。

 格差社会を根底から変えるなら、むしろ「不適切な雇用を拒否する権利」を認めるとともに、最低賃金を引き上げるほかはない。そしてそれを達成するためにこそ、失業者の連帯とともに、失業者とワーキング・プアとの連帯が不可欠なのである。