第28回大会総会 委員長あいさつ

委員長の総会あいさつは、唯物論研究協会の研究活動が受け止めるべき、あるいは、念頭に置いておくべき、現代の社会状況、情勢にふれて話すのが慣例ですので、そのようにしたいと思います。

今日の研究大会は28回目です。現行憲法の下であと一回はこの大会が開けるだろうと思いますが、それ以上は、わからない、という情勢になりました。保守二大政党制が成立して、民主党が改憲を本格的に言いだしたのは2003年総選挙でして、そのあたりから、改憲が本格的に政治日程化してきました。来年の通常国会には、国民投票法が出てくる公算が高くなり、自民党新憲法草案も、今月の28日には党議決定がなされで、民主党、公明党とのすりあわせが本格的にはじまります。

戦後60年、日本の軍隊は、自国他国をとわず、人間を一人も殺傷してこなかったわけですが、そうした軍事的小国主義、専守防衛型軍事機構しかもたなかった日本を、アメリカとの集団的自衛権を発動して、アメリカ、西ヨーロッパ諸国、日本など先進国同盟に敵対すると考えられる小国や勢力を、アメリカとともにつぶしてまわる国家に変質させようと言うわけです。

世論調査にもよりますが、九条の改廃については、なお国民のギリギリ過半数、あるいは半数程度は慎重です。戦後民主主義の思想と運動の成果が、ほとんど唯一、ギリギリ崩壊せずに残っているのが、「平和の維持・構築」の領域です。「九条の会」は全国で数千にのぼっています。また、今年の教科書採択で、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択が、10%を目標とした大運動を行い、各県教委から市町村教育委員会に採択の圧力をかけさせたにもかかわらず、 0.4%程度の採択率にとどまったことにも示されています。

しかし、この「平和」への根強い世論と運動とはうらはらに、「構造改革」に対しては、抵抗、対抗は非常に弱く、先日の総選挙で郵政民営化を支持する世論のある種のナダレ現象がおきました。「自己責任」にすべてを帰し、激しい競争と格差を容認する「構造改革」への抵抗が弱いわけですが、これは思想の問題としてひきとると、戦後民主主義が大事にしてきた諸理念の多くの部分が、その解釈におけるヘゲモニー闘争で、左派、民主主義派が決定的に敗北してきたことを意味すると思います。

たとえば、「自由」を、政治的・市民的自由にくわえて、すべての抑圧からの解放、貧困や無知からの解放ととらえた、戦後民主主義派の自由解釈は、ほとんど消えていると思います。「積極的自由」と「消極的自由」との両者を、両者の葛藤の意識なく、未分化な状態のままふくんだものであった、という弱点を克服できないまま、市場原理の全面化こそが自由、という解釈に圧倒されてきたわけです。

平等は「機会の平等」としての新自由主義的解釈が支配的となって、「結果の平等」と「機会の平等」を予定調和的に両立させて考えていた、戦後民主主義派による解釈は後景に退きました。「機会の平等」自体も、新自由主義による解釈では、「所有の不平等」や「出自の不平等」と矛盾しない範囲に狭く限定され、むしろ、実質的不平等を合理化・正当化する能力主義イデオロギーの一部としての機能をもつようになっていると思います。

民主主義は、戦後民主主義派にとって、まず、集会・結社の自由、思想・表現の自由を含む「自由主義」的諸原則の擁護であり、同時に「国民主権」でありました。しかし同時に、戦後思想にとって、民主主義は単なる政治原則としての自由民主主義にとどまるものではありませんで、政治のみならず、経済、社会、文化のそれぞれについて「大衆が実際の主人公となる」というイメージがこれに込められておりました。生存権、労働権をふくめて国民の諸権利が高度に尊重される状態、19世紀半ばまでの「民衆の支配」(=デモス・クラティア)に近いものを民主主義とよんでいたといってよいと思います。いまの「民主主義」は、「選挙多数派の支配」、選挙に行く人びとの中での多数決、に切り縮められています。

「平和」はいわば、孤立して、戦後民主主義のやや古い理解図式を維持しているわけですが、このことの弱点は、若い世代、とくに仕事と生活の不安定・困窮にうちのめされている若い人々が、憲法改正問題に強い関心をもたず、「九条の会」が中高年に支えられ、戦前の軍国主義への復帰、という不正確なイメージが一人歩きしている状態に現れています。

他方、理念条の闘争、イデオロギー闘争での長期的劣勢も影響して──さらにその背後に階級闘争上で労働側の長期敗北局面があるわけですが──「構造改革」は野放図に進んでいます。「貧困化」、生活の困窮は、激しい勢いで広がっていまして、たとえば、一切の貯金、金融資産、生命保険などが無い世帯の比率は、2004年で23%となりました。この比率は、1997年では10%でした。現在では20代の世帯主の家庭では36、7%がそうした状態です。

東京の足立区の就学援助比率は、2004年度で公立小中学生の42.5%にのぼっています。これを受けられるのは、世帯収入が生活保護基準の1.1倍以下の家庭です。2001年では35%でした。東京全体でも、98年に15%であったものが2003年には23%にのぼっています。東京都立の職業高校の授業免除率、これは生活保護基準以下の世帯だけが受けられますが、これは2003年度で17.4%になりました。先日の巨大ハリケーンの際のニューオルリンズの惨状は、「二つの国民」という言葉で、F・エンゲルスとそれに後に保守党の首相になったディズレーリが表現した、19世紀半ばのイギリスの状況をまざまざと想起させました。一方で海外で無法、不正な軍事的蛮行と侵略・抑圧をくりかえし、他方で国内に「二つの国民」状態をつくる、こうしたアメリカ型のワン・セット、私の言葉で言えば、多国籍企業型経済を土台とした現代帝国主義国家の二側面でありますが、これが、日本にも本格的に登場しようとしているのだと思います。

残念ながら、いまの日本では、戦後民主主義の流れをくむ思想的営為は、全体として活発とは言えないと思います。しかし、この唯物論研究協会は、少しはがんばり続けていると、自負しています。悪い方向にむかっての歴史の大転換をどこまで許すのか、後で後悔しないですむように、思想の研究にたずさわるものとして、できることを、おたがい、精一杯やり続けたいと思います。

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