研 究 大 会

第2分科会「『心の教育』をめぐって」

 報告者:菅原伸郎 氏(元朝日新聞学芸部)
     万羽晴夫 氏(熊本大学)

 シンポジウム「『こころの時代』とポリティックス」と関連して設けられた分科会であり、万羽晴夫氏(熊本大学)の「「心のノート」――パステルカラーの軽やかな価値の押しつけ」と、菅原伸郎氏(元朝日新聞記者)の「「心のノート」の生命観」という2つの報告を基づいて、とくに「心の教育」について議論を交わした。

 万羽晴夫氏は、4冊の「心のノート」それぞれの構造について細かく紹介をしながら、「心の教育」の路線が、国民を分断し、かつ統合していくための、「一人ひとりの内面の国家による支配の試み」にあることを指摘した。「心のノート」は、首位的教科書に位置づけられており、道徳教育の日常化をめざしたものであるとされる。菅原伸郎氏は,「心のノート」の生命観と神道の世界との親近性、良心論における「自省」の欠如を示した上で、しばしば言われる「畏敬の念」について、ルソーや清沢満之らによりながら、むしろ「畏れるな」ということの大切さを積極的に提示した。今回、文科省が「心のノート」を作成した背景には、「道徳教育は何をやっているのか」という批判や教育する側の無力感という要因があった、という指摘は、注目に値するものであった。

 討論は、1)「心」とは何か、2)「心のノート」の評価、3)教育基本法「改正」等ナショナリズムの動きとの関連、という論点を設定して行なった。シンポジウムの報告者全員が参加していて、さながらシンポジウムの続きのような議論になり、盛り上がったと言ってよい。詳細は割愛するほかないが、いくつかの問題提起的発言を記録しておこう。1)「心の教育」においては、「心」が道徳に限定されているのが問題だ。2)「心の教育」あるいは道徳教育は批判するにしても、人格形成に関わる教育は必要だろう。これらはどのように異なるのか。結局、教育では何を教えるのか。3)そもそも道徳教育は必要か。これには、「戦争や労働に関しては事実を伝えるだけでよい」、「平和などは道徳の問題として教える必要がある」、「自由と平等などの価値についての判断」や「道徳を首位教育にしてはいけない」などの発言があった。4)「心のノート」はどこまでナショナリズムと結びつくのか。――「心の教育」に対抗していかなる「教育」が求められるのか、これが一貫して問われていたようにも感じられる。

(文責:渡辺憲正)

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