研 究 大 会

第1分科会「環境的正義をめぐって」

 報告者:市原あかね 氏(金沢大学)
     戸田 清 氏(長崎大学)

 最初に戸田清氏(長崎大学)が同氏の近著『環境学と平和学』の視点から、世界秩序における環境的正義の問題的位置と性格について提起を行った。

 氏は平和学の基本課題を直接的暴力(戦争)と構造的暴力(南北格差と貧困・性差別など、環境破壊)の廃止に設定し、そこでの「正義」の性格を「脱軍事化」、「グローバル正義」、「環境的正義」と規定する。そして三種の正義の相互連関構造を強調し、平和運動と環境運動が密接な内的連関をもち、共通課題を担うことを具体的に提起した。そこから現代グローバリゼーションにおけるアメリカの戦略、特にブッシュ政権の暴走の“文明的特徴”を、国内で寡頭支配・金権政治を強化し、世界への「民主主義の商品化」を進める「全体主義」と示唆した。これに対し氏は、環境NPO等の「脱グローバリゼーション」に拠りつつ、「資本主義世界システム」への代替案構築の緊急性に環境的正義の基本戦略があることを強調した。併せて環境的正義の運動論的展開にとって予防原則が正義内容として創出される重要性も強調された。

 次に市原あかね氏(金沢大学)が戸田氏の提起を受ける形で、ローカリズムとグローバリズムの接点で環境的正義を方向づける視点から、バイオリージョナリズム論を提起した。

 氏はまず、自然の「固有価値」と「必然・制約」を巡る論争的問題群を整理して、環境的正義にとっての「2つの『自然法』的課題」(「自然の価値」と「自然の限界」)を提示した。そこから自然の倫理的位置づけの多様さ故の“要請”と自然認識の多元性故の科学的認識の“要請”に基づく「自然の能動性」の“方法論的承認”の意義、及びそれを軸とする人間−自然関係の「公共圏的課題」の構築の意義を提起した。次に氏は、マルクスの非有機的身体論とハーヴェイの社会生態論から自然の階層性・環境の共同性・人間の感性的主体性を位置づけ、これらの「入れ子構造」から環境的「公共圏」の多次元性を強調した。そこから氏は、環境的正義の重要な次元として「調整様式の一つ(規範的時空構造)としてのバイオリージョン」を提起した。核心はバイオリージョンが「能動的自然と主体的感性的人間が具体的に出会う場」、この出会いを「社会的に総括する第一の場」だという点にある。そして「バイオリージョンの公共圏」の性格と課題の基本的方向を展望した。

 両氏の提起が環境的正義論に新基軸を開くものだっただけに、討論が理解のための質疑応答に集中した感があるのは、止むを得ないとは言え、惜しまれた。異なる位相から照射される両者の環境的正義の内実とその異同・連関、正義のそもそも論との関係、特に身体的主体を強調する市原氏の場合現象学的身体論やベルクの風土的身体論との異同・バイオリージョンの原理性が構成する環境的正義の固有の内実、など今後に楽しみな課題を残した分科会であった。 

(文責: 亀山 純生)

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